*はっぱ隊について…(By wiki)
フジテレビ系列局で放送されていた番組「笑う犬の冒険」内の一連のコントに登場する集団。2001年4月18日にシングル「YATTA!(作曲・ダンス☆マン)」でCDデビューまで果たす。同曲はオリコン初登場6位を記録。同年6月6日には完全版ビデオクリップ他収録のビデオもリリース。2003年3月13日にアメリカ・ABCの番組「ジミー・キンメル・ライブ!」にゲストとして出演した。なぜか海外の人たちにも、昔から人気が高い。
コメント&動画:
https://www.youtube.com/watch?v=rW6M8D41ZWU
メディア:Youtube
コメント選出基準:人気
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1.海外のパネリスト
天国に行ったら、こんな感じに出迎えて欲しいな…
2.海外のパネリスト
>>1
じゃあ、日本に行けばいい。こういう人達がいるよ。
3.海外のパネリスト
>>1
むしろ、これは地獄でしょ?
4.海外のパネリスト
>>3
地獄の中でも一番奥のほうだよね。
5.海外のパネリスト
Youtubeはこの動画のために存在している。
6.海外のパネリスト
>>5
ほんとそう。
7.海外のパネリスト
この動画はインターネットの伝説となっている。次世代のために保存されるべき、Youtubeの貴重な財産だ!
8.海外のパネリスト
>>7
この曲を聴いていて思った…これこそ、日本の最も誇るべきものだ!
9.海外のパネリスト
彼らは日本のコメディアンなんだ。この曲が発売された2001年当時、日本は厳しい経済状況に直面していて、失業率や自殺率も、とても高かった。日本の人たちが、とても落ち込んでいた時代だった。このコメディアン達は、そんな人々を勇気付けようと、この曲を発表したんだよ。この曲が発売されてから、日本は再び力を取り戻し、実際、自殺率も驚くほど低下した。この歌の主題はとてもシンプルなもの。”たとえ辛い事があっても、毎日しっかり寝て、しっかり起きていれば、君の人生は大成功だ。仮に、裸だったとしても、はっぱ一枚しか着るのもなかったとしても、生きてさえいれば、それでいいんだ!”
10.海外のパネリスト
>>9
半裸の男たちが日本を救ったのか…
11.海外のパネリスト
>>9
この曲を聴くたびに、意味も分からず微笑んでしまっていたけど、意味を知ると、より心に染みてくるね!
12.海外のパネリスト
2005年(動画がアップロードされた年)か…100年前のように思える…
13.海外のパネリスト
>>12
年をとるわけだ…
14.海外のパネリスト
あぁ…懐かしい…11歳のときにこれを見た…今は23になっちゃったよw
15.海外のパネリスト
結婚式の時、この曲でダンスしたなぁ…
16.海外のパネリスト
>>15
Youtubeに載せるんだ!!!
17.海外のパネリスト
私の葬式にはこれを流してくれ…
18.海外のパネリスト
>>17
いや!俺の葬式では、みんなにこの曲を歌っておどってほしい!
19.海外のパネリスト
おし、まかせろ!もしものときは、友人数人を誘って、君らの墓場で踊ってやる!!!
コメント欄
人はカオスに出くわすとその動揺を鎮めるために特に意味のないものをこんなにも美しく深読みしてくれるんだな
誰もが※1のように寛容であれば世界は平和じゃ
俺もこの曲に励まされた😀
確かにこの時の経済状況は半端なく厳しかったな
この年と翌年の高卒の就職率は50%あるか無いかだった
懐かしい(*´ω`*)
昔、この動画に救われた人間の一人。
命の電話にでも電話しようかと思う酷い状態の頃。電話する気力も出なかったけど、当時、この動画を見つけて毎晩ぼーと繰り返し見てたら、だんだん楽になっていった。
振り返ると、よく乗り越えられたなーと思う。
当時子供だったから何も知らないで見てたけど、確かにこの辺りからお笑いが発展した気がする。笑う犬大好きだった。思えば日本人を鼓舞するためにあったのかもしれないな
あの頃のフジは結構好きだった。
ベッキーもサンフラワーさんとかやりながらこいつらと共演してたよな
葉っぱ隊を全く知らなかった
歌詞の「息がすえる、息がはける」のあたりはね
鬱病になったことある人が書いたのかと思った
重症の鬱病で電池切れで「もう呼吸くらいしかできねえ…」って状態の時に「誰も認めてくれないけど、それでも息吸って吐いてる俺って頑張ってるよなあ…」とちょっと思ってた
「鳴いて血を吐く人だっているのに病気でもどこも痛くないだけありがたいわ」とかさ
※7
日本人を鼓舞する為もあっただろうけどやっぱりお金だと思う
この頃はまだ携帯電話でネットにアクセスできない最後の時代で、テレビの影響力の方が大きかった
当時の方が今よりもCM契約の収入もあり番組の製作に今より予算が回ってたんだと思う
今はコントに必要なギミック付きの大道具を作れる予算と技術者が減ってああいう番組が作れなくなりつつあるんじゃないかな
捉え方次第って歌だよなぁ
南原、名倉、泰造、ホリケン、大木、、、
もう1人誰だ
笑う犬にこんなのいたっけ
ちなみに俺は放課後電磁波クラブに人生救われたよ
※7
それっておそらくその前を知らないだけ
もっともっと昔からお笑いは発展してます
この頃のフジは面白かったなぁ
息を吐くように嘘を広める人たち
※7
むしろこの頃からお笑いにカリスマが存在しなくなっていった気がする
みんな小物になって仲良くわちゃわちゃする感じ
大げさだっつのw
2001年だって日本にしては悪いってくらいで毎日三食食えるしエアコンのきいた部屋でポテチ食いながらゲームだってできたわ
コメント欄にも実際救われた人が出現していてちょっとした感動を覚えた。
謎のエネルギーは感じたし
それはポジティブなものだったよ
ビビる大内は引退してプロデューサーやってる
私の世代だと似たようなコンセプトはTMCAやジンギスカンかな
✕TMCA
◯YMCA
※17
そりゃお前が子供だったからだろ?
2003年ころから一時好景気に転じるけど2000年始めはリストラの風が吹き荒れて就職口なんてどこも無かったよ
だから小泉が規制緩和して非正規雇用が増えたんだよ
葬式のときに「息が吸える息が吐ける」なんて歌っていいのか…
ラブマシーンもそうだけど世紀末感あるよね
外国人に受けたのって半裸の男達が「葉っぱ」でハイになってるからってところだろうけど
この時期あたりの俺の昇給なんと440円だぞ
時給とか日給じゃないぞ
月収の昇給が1年働いて440円だった
それが数年続いてたんだ
それでもリストラにあうくらいで昇給するだけまだマシな部類
俺の友達なんて年に1週間も休めないよと言っていたやつが、月に2日しか仕事がなくなった
バブル崩壊後10年ちょっとはもうめちゃくちゃだったんだよ
うちのオヤジが吸収合併の影響でリストラされたなーこの頃。まぁそのあと運良く別の企業にひろわれたから良かったけど、マジでこの時代は超氷河期だった。
懐かしいな
外国人のやってみた系もたくさんあったな
元々は人生最大の挫折に直面した内村の前に現れたはっぱ隊をみて「悩むのがバカらしくなってきた」っていうオチのコントだったよね。
プライドの高い南ちゃんがコレだけはノリノリでやってるんだよな
この曲ってダンス☆マンだったのか
言われてみればそれっぽい
久しぶりに聞いたけどなんか元気でたよ。笑
※11
ビビる大木の相方、ビビる大内登だ。バイキングでプロデューサーやってる。
この曲とアンパンマンのマーチでは泣いたなぁ
聴けば明らかに体が軽くなるのを感じた
これが外国人に人気なのは、旧約聖書の楽園追放のコスプレしてるからだろ
お前ら何でそんな世知辛い話で辛気臭くなっとんねんw
ベッキーだったかな?あんないい年の男たちがほぼ全裸ではっちゃけるのって海外ではまず考えられないからウケたんじゃないかって言ってたな
まさに就職氷河期
この頃に比べたら今の就活は天国だよな
ちょうど流行って海外のインターネットで話題になってたのを覚えてる。
外人がこぞって真似をしてたな。
ちょうど流行って(しばらくしてから)が抜けてた
俺は鬱が悪化して何週間も外に出れなくなってた時、
この動画を見てると、涙が止まらなくなって、だんだん気が楽になっていったのを
覚えてる
まとめを見るまでは海外にまでばれちゃってちょっと恥ずかしいと思っていたけど
読んでいて当時の社会の雰囲気を一気に思い出して涙が溢れてきた
どんよりとした時代だったけど、だからこそああいう陽気な存在は必要とされたんだろうな
あの頃に中学時代を過ごせて良かった
もう20年も前の事なのか。
大人になると時間があっという間に過ぎるってのは本当だな。
この頃はまだお笑い番組が大好きだった。
いつ変わってしまったのだろうか。