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当サイトにおけるLGBTへの見解
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全てではないにしろ、(生物学的男性の)Tの人々の一部は「性自認の問題」というよりかは「精神的な問題」を内含している可能性がある。それらを「性別」として捉えるのは少し違うのではないか。
無論、こういうことを公言すれば、即座に「差別主義者」と認定されてしまうのかもしれないけれど、社会への影響を考えれば、そうした議論は避けられないと思う。
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日本でも「男性トランスジェンダーのトイレ使用制限」を巡り、裁判で「違法判決」がでている。でも、この判断は明らかに「現状」を正しく理解できていない。
そもそも「トランスジェンダー」の定義自体が曖昧。「性自認」なのか「性転換」なのか。それとも「精神的疾患」によって引き起こされる「幻影」であったり「虚偽」なのか。はたまた「偏執的性指向」なのか。
それは外からでは基本誰にも判断できない。もしかしたら、本人も分からないかもしれない。
仮に「精神的疾患」や「偏執的性指向」によって「トランスジェンダー」を自称する男が、「女子トイレ」・「更衣室」・「風呂場」に自由に出入りできるようになれば、それは「普通の男性」以上に危険な存在になりうる。
こうした問題は「差別」や「偏見」が絡むが故「自由に議論ができない」。そして、彼らはそれを「(自らへの批判を封じるための)隠れ蓑」にしている。この辺は「移民受け入れ問題」にも通じる。
ポリコレを配慮するあまり、女性達の人権が著しく無視されることになっている。
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こうした(生物学的男性の)Tにおける問題を、すべて「LGBTQ問題」として扱われることもオカシイ。
(生物学的男性の)TやGへの批判を持って「LGBTQ全体への批判」となるのも間違っている。この問題はLや(Lよりの)Bの人達も、いずれ(トイレや更衣室等の使用を巡って)被害者になりかねないのだから。
LGBTという一括りの枠組みは撤廃されるべきで、別個に社会的な対応を考慮したほうがいい。
同性婚の議論にしても「L(LよりのB)に関しては賛成。それ以外は反対」という人達も多くいるはず(個人的にはコレ)。
LGBTQを無理矢理一緒くたに捉えることは、(社会的に受け入れられやすい)Lに、GBTQが引っ付いているようにしか見えない。GBTへの批判をLへの批判に置き換えれば同情も得やすい。本当に汚いやり口。ある種のコバンザメ商法。他のGBTが寄生しているようにしか見えない。
Lの人々にとって、LGBTQに所属していることが、本当に利益があることなのか。逆にLの社会権利獲得を遅らせているのではないか。
L(LよりのB)の人々を支援したい人は男女問わず多いと思う。一方、GBTQに関しては、様々な問題が絡むことがあり、それほど簡単ではない。
LGBTQが自らの権利を主張することは認められるべきであるけれども、社会には様々な見解を持つ人々が存在している。
それらを無視して自分達だけの意見を押し付ければ、必ず、人々の心の中に根強いLGBTQへの嫌悪感を未来永劫植え続けることになる。それは誰にとっても望ましい事ではないだろう。
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